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Beauty Source キレイの魔法

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エリック1855『呼び声』

エリック 1855

『呼び声』

世の果てのような東の小島に行くと決めたとき、私はモルヒネが手放せなくなっていた。
ペルシアで殺めさせられた罪びとたちのうめき、
それ以前に私の姿をみて自ら散り、あるいはこの手で散らした末期の表情。
いくら幻想を作り出し、人々を現実から逃避させることができても
私自身は、それらの惑いをただ眺めているだけなのだ。
いつも、半歩離れて。

この顔を覆う仮面のように、私は魂にベールをかぶせ、世間と皮一枚距離をおく。
ずっと離れていられればよいが、この世はよほど意地の悪い者に支配されているらしく、
ベールを奪い去り、剥き出しの魂を曝そうとする嵐が起きる。
あるいは鏡の前に、突きつけるように吹く残酷な突風。

そのたびに居場所をなくし、放浪を続けても逃れられるものではない。
いまやこの身をも持て余し、脱ぎ捨てられない鎧に取り囲まれた魂は、
鏡の部屋で己の醜い姿に狂ってゆく魔物のようだ。

それでときおり、媚薬を調合して耽溺し、しばしの安逸を得てきた私は
このところ欧州に入ってくるようになった異国の植物にも
手を出すようになっている。
在来のハーブより強力で、その習慣性に気づいたとき、
私はさらなる泥沼に足を踏み入れようとしていた。

東方行きを決めたのは、途中インドにも寄ると聞いたからでもある。
阿片窟に身を投じ、心身をやられる中毒者が欧州各地に続出していたけれど
私にはまだいくつかやりたいことが残っている。
原材料が手に入るルートを抑えれば、極上の薬を抽出することも可能で
そう惜しくもない身をいくらか永らえることもできるだろう。

航海は順調にすすみ、港に降りた私は現地の密売人に
サルタンの宝石のひとつを握らせることができた。
宝石もよかったが相手が痛風持ちで、薬草を調合してやったのも効いたらしい。
かなり大量の材料を手にいれ、帰国するまでに起こるだろう発作の分を取り除けて
欧州のアジトのひとつに送る手配を済ませる。
あとはジュールがうまくやってくれるはずだ。

「だんなはあれで、一儲けするんですかい?」
ひどいアクセントだが、なんとかわかる英語で密売人が尋ねた。
「いや、金はいらないのだ。あれは純粋に、私だけのものだ。」
「だんながひとりで、あれだけの阿片を?」
「そうなるだろうな。」
「そいつはやめといた方がいい。腐るほどあったって密売人に中毒した奴がいないのは
恐さを充分知ってるからなんだ。あたしだって痛風の痛みはいやだったから
あれに逃げたくなるときもあったが、抜け出せなくなるからね。」
「その逃げ出したい痛みが、私にもあるのだよ。」
「だんなの魔法みたいな薬があれば、そんな病気なんざ、すぐ治せるでしょうに。」
「自分で自分に魔法をかけられないのが、魔術師ってやつなのさ。」

密売人は私の身というよりは、痛風の薬が手に入らなくなることを心配したのか、
ある僧院に行くことを勧めた。
瞑想を一日15時間も続けている輩がいるらしい。
密売人も痛みがひどくなったときはそこに座り、心を落ち着けると
なんとか我慢できるようになるそうだ。
もっとも、その帰りに酒をひっかけ、たちまち元どおり、と笑ってはいたが。
出航までに丸一日余裕があったので、私は足を向けてみることにした。

僧院は、どうやらイエズス会が作った施設の一部であるらしい。
薄暗い建物の奥には、確かに白い衣装をまとった痩せこけた男が座っている。
目を閉じて、ゆったりと、しかし微動だにしない。
彼の魂はいったい、ここにあるのだろうか。
近くにあった椅子に腰掛けて目を閉じ、私は自然に手を合わせる。

しばらくじっとしていると、なぜか涙があふれ出て止まらなくなった。
声が聴こえる、美しかった母の声が。
「エリック、エリック」
私を呼んでいる?
あれほど嫌い抜いていた私を?
新しい夫と一緒にいるはずの母を思い描こうとしてみたが
浮かぶのは窓辺にひとり座る寂しげな女性の姿だった。
「エリック、エリック」
また呼んでいる。
違う、違う。
これは私の願望に過ぎない。
幼い感傷は、こうもまた私を支配しているのか。
決して報われない、徹底的に拒否され続けた惨めな過去は。

耐えられなくなり、私は突然目をあけ立ち上がった。
「お若い方、座りなさい。」
少しスペイン訛りはあるが、懐かしいフランス語が聴こえてきた。
瞑想から戻った男は、澄んだ瞳をして微笑んでいる。
「急激な動作は、気分を悪くする。ゆっくり座って、そう。
それから、またたきをしなさい。」
いつも見せている幻想から、観客たちを還らせるときと同じ言葉だ。
言われたとおりにして、私はなんとか自分を取り戻した。
「お若い方、よかったらまた明日もおいでなさい。」

すぐ出発できたのは、不幸だったのか幸いだったのか。
「私は彼、彼は私。いつも心にとめておくように。」
もう来られないと言うと、男はこう告げた。

「私は彼、彼は私。」
そんなことがあるものか。
彼は、私を愚弄し裏切り続けてきたではないか。
あの男の声が聴こえないように、激しく首を振り、耳をふさぐ。
今日の分を、やはり使ってしまおう。
パイプを燻らせ、沈み込む感覚に身をゆだね、私はまた、闇に飛翔してゆく。


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